健康診断の結果表を見ると必ず記載されている「血色素量(ヘモグロビン)」の項目。この数値が基準値から外れていると、「要精密検査」や「要経過観察」といった判定が出ることがあります。血色素量とは一体何なのか、なぜ重要なのか、そして異常値が出た場合どう対処すべきなのかを詳しく解説します。
血色素量は、血液中に含まれるヘモグロビン(Hemoglobin、略してHb)の量を表します。ヘモグロビンは赤血球内に存在する鉄を含むたんぱく質で、肺で取り込んだ酸素と結合して全身の細胞に酸素を運ぶ重要な役割を担っています。血液が赤い色をしているのは、このヘモグロビンに含まれるヘム(鉄)が赤色素を持っているためです。
ヘモグロビンは鉄(ヘム)とたんぱく質(グロビン)から構成されており、この構造が酸素と結合する能力を持っています。酸素を運搬する能力は、体内の代謝活動を支える基盤となるため、ヘモグロビンの量が適切に保たれていることは健康維持に不可欠です。
血色素量の検査は、貧血の有無や程度を判断するための基本的な検査として広く用いられています。また、多血症のスクリーニングにも役立ちます。健康診断では必ず測定される項目の一つで、全身の健康状態を反映する重要な指標となっています。
血色素量(ヘモグロビン)の基準値は性別によって異なります。2020年度の人間ドック学会の基準では以下のように設定されています。
【男性の血色素量基準値】
【女性の血色素量基準値】
男性の方が女性より基準値が高いのは、男性ホルモン(テストステロン)の影響で赤血球の産生が促進されるためです。また、女性は月経による出血があるため、生理的に血色素量が低めになる傾向があります。
年齢による変化も見られます。一般的に、新生児は血色素量が高く(14~20g/dL程度)、その後徐々に低下し、思春期以降に成人の値に近づきます。高齢者では、加齢に伴う腎機能の低下などにより、やや低値になることがあります。
なお、医学的な貧血の診断基準は、男性で13g/dL未満、女性で12g/dL未満(WHO基準)とされていますが、健康診断では早期発見を目的として、より厳しい基準が採用されていることが多いです。
血色素量が基準値より高い場合、多血症の可能性があります。多血症とは血液中の赤血球が異常に増加した状態で、以下の診断基準が用いられます。
【多血症の診断基準】
多血症は大きく分けて「相対的多血症」と「真の多血症」の2種類があります。
相対的多血症は、実際の赤血球数は正常なのに、脱水などで血漿(血液の液体成分)が減少し、見かけ上赤血球が増えたように見える状態です。主な原因としては以下が挙げられます。
真の多血症は、実際に赤血球が増加している状態で、さらに以下の2つに分けられます。
多血症の危険性は、血液がドロドロになることで血栓ができやすくなり、脳梗塞や心筋梗塞などの重篤な合併症を引き起こす可能性があることです。特に真性赤血球増加症では、血栓症のリスクが高まるため、早期発見・早期治療が重要です。
多血症の症状としては、頭痛、めまい、顔面紅潮、視力障害、耳鳴り、手足のしびれ、倦怠感などが現れることがあります。これらの症状がある場合は、専門医への相談が必要です。
血色素量が基準値より低い場合、貧血の可能性があります。貧血とは、血液中の赤血球数やヘモグロビン量が減少し、酸素を運搬する能力が低下した状態を指します。
【貧血の診断基準(WHO)】
貧血の種類は原因によって大きく分けると以下のようになります。
1. 赤血球の産生低下による貧血
2. 赤血球の破壊亢進による貧血(溶血性貧血)
3. 出血による貧血
貧血の症状は、軽度の場合は無症状のこともありますが、進行すると以下のような症状が現れます。
貧血の重症度は、ヘモグロビン値によって以下のように分類されることが多いです。
特に中等度以上の貧血では、日常生活に支障をきたすことが多く、医療機関での適切な治療が必要です。
血色素量の異常値を改善するためには、原因に応じた対策が必要です。ここでは、食事と生活習慣の面から改善方法を紹介します。
血色素量が低い場合(貧血対策)
血色素量が高い場合(多血症対策)
ただし、真の多血症(特に真性赤血球増加症)や重度の貧血の場合は、食事や生活習慣の改善だけでは不十分で、医療機関での適切な治療が必要です。血色素量の異常値が見られた場合は、自己判断せず、まずは医師に相談することをおすすめします。
血色素量(ヘモグロビン)だけでなく、関連する他の血液検査項目も合わせて確認することで、より正確な健康状態の把握が可能になります。ここでは、血色素量と関連する主な検査項目とその見方について解説します。
1. 赤血球数(RBC)
2. ヘマトクリット(Ht)
3. 平均赤血球容積(MCV)
4. 平均赤血球ヘモグロビン量(MCH)
5. 平均赤血球ヘモグロビン濃度(MCHC)
6. 網状赤血球数
7. 血清鉄・フェリチン・総鉄結合能(TIBC)
8. エリスロポエチン(EPO)
これらの検査項目を総合的に判断することで、血色素量の異常の原因をより正確に把握することができます。例えば、血色素量が低くても、MCVやMCHの値によって、鉄欠乏性貧血なのか、巨赤芽球性貧血なのかの鑑別が可能になります。
また、血液検査だけでなく、便潜血検査や胃カメラなどの消化管検査、婦人科検査なども、貧血の原因(出血源)を特定するために重要です。特に40歳以上で鉄欠乏性貧血と診断された場合は、消化管からの出血(胃潰瘍、大腸ポリープ、大腸がんなど)の可能性を考慮して、消化管検査を受けることが推奨されています。
血色素量の異常は、単なる貧血や多血症だけでなく、様々な疾患のサインである可能性があります。特に注意すべき疾患について解説します。
血色素量が低値の場合に疑われる疾患
血色素量(ヘモグロビン)の検査は、一般的な血液検査の一部として行われます。ここでは、検査方法と検査前に注意すべきポイントについて解説します。
検査方法
血色素量の検査は、健康診断や人間ドックの基本項目として含まれていることが多いですが、貧血の症状がある場合や、過去に異常値が出たことがある場合は、医療機関で個別に検査を受けることも可能です。
血色素量(ヘモグロビン)と運動パフォーマンスには密接な関係があります。特にアスリートや運動愛好家にとって、血色素量の管理は重要なポイントです。ここでは、あまり知られていない血色素量と運動パフォーマンスの関係について解説します。
血色素量と酸素運搬能力
ヘモグロビンは酸素を運搬する役割を担っているため、血色素量が多いほど理論上は酸素運搬能力が高くなります。これが、持久系スポーツ(マラソン、自転車競技、水泳など)のパフォーマンスに直接影響します。
研究によると、血色素量が1g/dL低下すると、最大酸素摂取量(VO2max)が約7%低下するとされています。つまり、軽度の貧血でも運動パフォーマンスに明らかな影響が出ることになります。
スポーツ貧血(運動性貧血)
意外なことに、激しいトレーニングを行うアスリートの中には、「スポーツ貧血」と呼ばれる状態になる人がいます。これには複数のメカニズムが関与しています。
興味深いことに、血色素量が高ければ高いほど良いというわけではありません。血色素量が高すぎると血液粘度が上昇し、かえって血流が悪くなり、酸素供給が低下する可能性があります。
研究によると、持久系アスリートの最適な血色素量は男性で15~17g/dL、女性で14~16g/dLとされています。これは一般的な基準値の上限に近い値です。
高地トレーニングと血色素量
多くのトップアスリートが取り入れている高地トレーニングは、低酸素環境に体を適応させることで赤血球とヘモグロビンの産生を促進し、血色素量を増加させる効果があります。標高2000~2500mの環境で2~3週間過ごすと、血色素量が5~10%増加するとされています。
これを利用した「高所トレーニング・低所居住」や「高所居住・低所トレーニング」などの方法が、持久系競技のパフォーマンス向上に活用されています。
血液ドーピング問題
血色素量と運動パフォーマンスの関係から、不正に血色素量を増加させる「血液ドーピング」が問題となっています。自己血輸血やエリスロポエチン(EPO)の不正使用などがこれに当たります。
世界アンチ・ドーピング機関(WADA)は、男性のヘモグロビン値が17g/dL、女性が16g/dLを超える場合に追加検査を行うことがあります。また、生物学的パスポート(ABP)という長期的な血液パラメーターの監視システムも導入されています。
アスリートのための血色素量管理
アスリートが適切な血色素量を維持するためには、以下のポイントが重要です。
血色素量(ヘモグロビン)は一定ではなく、季節や年齢によって変動することが知られています。これらの自然な変動を理解しておくことで、検査結果の解釈がより正確になります。
季節による変動
複数の研究によると、血色素量には季節変動があり、一般的に冬に高く、夏に低い傾向があります。日本での研究では、夏と冬で約0.5g/dLの差があるとされています。この季節変動のメカニズムとしては、以下のような要因が考えられています。
加齢による変化
年齢によっても血色素量は変化します。一般的な傾向としては以下のようになります。
日本老年医学会のガイドラインでは、高齢者(65歳以上)の貧血の基準値を男性12g/dL未満、女性11g/dL未満としており、一般成人の基準値より低く設定されています。しかし、これは「許容範囲」であって「理想値」ではないことに注意が必要です。
個人内変動
同じ人でも、日内変動や日々の変動があります。一般的に、血色素量は朝に高く、夕方に低い傾向があります(日内変動)。また、水分摂取状況、食事、運動、ストレスなどによっても変動します。
健康診断で境界値が出た場合、一度の測定だけで判断せず、再検査や経時的な変化を見ることが重要です。特に、前回の検査から1g/dL以上の変化がある場合は、何らかの原因がある可能性が高いため、医師に相談することをおすすめします。
近年、自宅で血色素量を測定できる機器が普及してきており、特に貧血傾向のある方や、パフォーマンスを重視するアスリートの間で注目されています。ここでは、血色素量の自己測定方法とその活用法について解説します。
自己測定用の機器
自己測定はあくまで参考値であり、正確な診断には医療機関での検査が必要です。以下のような場合は、自己測定に頼らず医療機関を受診しましょう。
妊娠・出産は女性の体に大きな変化をもたらしますが、血色素量(ヘモグロビン)もその影響を受ける重要な指標の一つです。妊娠中の血色素量の変化とその管理について解説します。
妊娠中の血色素量の生理的変化
妊娠中は血液量が増加します。特に血漿(血液の液体成分)の増加率が赤血球の増加率を上回るため、相対的に血色素量が低下します。これは「生理的血液希釈」または「生理的貧血」と呼ばれる正常な変化です。
妊娠中の血色素量の変化の典型的なパターンは以下の通りです。
妊娠中の貧血の診断基準
世界保健機関(WHO)は、妊娠中の貧血の診断基準を以下のように定めています。
妊娠中の貧血の影響
妊娠中の貧血、特に鉄欠乏性貧血は、以下のようなリスクと関連しています。
母体への影響
妊娠中の血色素量管理
妊娠中の適切な血色素量管理のためには、以下のポイントが重要です。
通常の経腟分娩では300~500mL、帝王切開では500~1000mL程度の出血があります。この出血により、産後は血色素量が1~2g/dL低下することが一般的です。
産後出血が多い場合(1000mL以上)は、輸血が必要になることもあります。産後の貧血は、授乳や育児による疲労を増強させる要因となるため、適切な管理が重要です。
産後の回復と授乳期の血色素量
産後6~8週間で血液量は非妊娠時のレベルに戻りますが、出血による鉄損失の影響で、血色素量の回復には時間がかかることがあります。特に鉄欠乏がある場合は、積極的な鉄分補給が必要です。
授乳中も鉄の必要量は増加しています。母乳中には鉄が含まれるため、母体から赤ちゃんへ鉄が移行します。ただし、その量は妊娠中ほど多くはありません。
授乳中の貧血は、疲労感を増強させ、母乳の質や量に影響する可能性もあるため、産後の血色素量のチェックと適切な栄養摂取が重要です。
妊娠・出産・授乳という一連のライフイベントを通じて、血色素量の適切な管理は母子ともに健康を守るために非常に重要です。妊娠を計画している方は、妊娠前から鉄分を含む栄養バランスの良い食事を心がけ、必要に応じて医師の指導のもとでサプリメントを活用することをおすすめします。